2019 METAL CULTURE 横須賀
メタルワングループ広報誌
Value One Spring 2019 No.64より
日本の近代化を牽引した造船所
現在の米海軍横須賀基地内に、150年も前につくられた造船所が今も現役で活躍している。その名も「横須賀製鉄所」。日本の近代化を牽引した幕末最大のプロジェクトである。
1853年にペリーが来航し、江戸幕府は開国を余儀なくされたが、同時に外国との国力の差が浮き彫りとなり、幕府は軍事力の強化を急いだ。軍艦をつくれる近代的な造船所の建設を計画し、その実行を任されたのが勘定奉行だった小栗上野介忠順である。
横須賀市自然・人文博物館の学芸員の菊地勝広さんは「小栗ら当時の役人は非常に優秀で、造船所の建設をすべてフランス任せにせず、自ら欧州をまわり、数か国語を操りながら必要な機械や人材を調達した。現代でいう商社パーソンのような仕事ぶりだった」と感嘆する。この時に輸入されたスチームハンマーが今も横須賀市のヴェルニー記念館に保存されている。
横須賀製鉄所は造船技術の強化だけでなく、人材育成にも注力。その後の日本の工学研究にも大きな影響を与えた。また、総合工場としての役割も担い、日本初の洋式灯台となる観音埼灯台や生野鉱山向けの採鉱機械なども製造した。1940年には当時世界最大の空母「信濃」を建造するなど世界最高レベルの技術を獲得するに至った。
横須賀製鉄所は、日本が技術立国として発展する礎であり、現在に続くモノづくりの原点でもある。