岩手の南部鉄器と並んで鉄瓶や茶釜などの伝統工芸品として長い歴史を誇る山形鋳物。その始まりは今から約950年前の平安時代中期にさかのぼる。みちのくで起こった反乱を治めるため、源頼義が山形を訪れた際、従軍した鋳物職人が市内を流れる馬見ヶ崎川の砂が鋳物に適していると発見、この地に留まったと伝えられている。
時代は下って慶長年間(1596〜1615年)。初代山形藩主の最上義光は城下町を整備し、鋳物師17人を集めた界隈を「銅町」と命名し、鋳物産地としての基礎を築いた。当時の山形は修験道で知られた出羽三山神社への参詣人で賑う門前町であり、土産物の仏具や日用品など鋳物製品の人気が高かったという。
銅町に移り住んだ鋳物師17人のうちの一人、菊地喜平治は現在も存続する鋳物工房・
菊地保寿堂の初代店主。約400年の歴史を誇る同社は今も鉄瓶や茶釜などの鋳物製品をつくり続けている。15代目の菊地規泰社長は「山形鋳物の特徴は薄くて軽いこと。薄くても保温性がある鋳物をつくるために砂型には最上川で採れる世界で最も細かい砂を使う」とこだわりの極意を語る。この菊地保寿堂が、山形出身でフェラーリのデザインなどを手がけた工業デザイナー、奥山清行氏と共同制作したティーポット「まゆ」。伝統的な山形鋳物の製造技術を守りつつ、現代のライフスタイルに合った斬新なデザインを取り入れた「まゆ」は欧米で人気が高く、納品まで数ヶ月待ちという。「400年前の技術だけでは生きていけない。常に新しいことに挑戦するのが先代からの言い伝え」と菊地社長。
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