曳山を彩る錺金具は、その技術の源流を長浜の鉄砲鍛冶にまで遡ることができる。室町時代に種子島に伝来した鉄砲は、二代将軍・足利義晴(よしはる)に献上され、その後、足利将軍の命により当時の長浜・国友村で製造が開始された。鉄砲鍛冶の技術はこの地に根付き、国友鉄砲鍛冶と呼ばれる大集団を形成し、一時、この地は火縄銃の一大生産地へと発展した。長浜の鉄砲の特長は、機能はもとより、その装飾の美しさにもあった。銃身に施された象嵌(ぞうがん)の装飾である。象嵌とは金属の素地を彫り、くぼめて、切り抜くなどの加工をし、そこに他の金属素材を嵌め込み、金属表面に模様を造り込む技術である。この鉄砲鍛冶たちの金工技術が、当時、豪華さを競い合っていた長浜の曳山の装いにさらなる色を添えていった。国友の鉄砲鍛冶たちは、長浜の町衆に招かれ、曳山の前柱の錺金具に象嵌の腕をふるった。国友鉄砲鍛冶の系譜を引く藍水堂一徳(らんすいどう いっとく)の作とされる昇龍の錺金具は、現在でも象嵌の技術による錺金具の傑作の一つとされている。藍水堂一徳は、この昇龍の象嵌を作り込むために、日々、姉川の河原で蛇のうねる姿を見つめ続け、その動きを研究し、制作から完成までにじつに13年もの歳月を費やしたという逸話が残されている。
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長浜曳山まつりのメインイベント「子ども歌舞伎」 |
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曳山の錺金具。髪の毛1本までが金属を嵌め込んだ象嵌で作られている。近江の名工・奥村菅次の作とされる |
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辻清氏の作品。手長エビのひげもあしも全て象嵌で作られている |
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