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Value One グループ広報誌
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Value One Summer 2008 No.21より
 

様々な種類の「房州鋸」。真ん中の一番大きい鋸が「船鋸」

千葉県鴨川市。房総半島南部の太平洋に面したこの町はかつて「船鋸ふなのこ」の生産地として栄えた。船鋸とは遠洋漁業に出漁する大型木造船(和船)の製造や修理用に使用される鋸。その形状は通常の鋸よりも大きく、魚の形にように丸みを帯びている。

江戸時代から続くその伝統技法を守る職人が今もこの町にいる。「中屋雄造正直なかやゆうぞうまさなお」の屋号を引き継ぐ粕谷 實さん、雄治さん親子。雄治さんで三代目となる船鋸職人の家系だ。ここでつくられた「房州船鋸ぼうしゅうふなのこ」は、日本国内はもとより海外でもその名が知れ渡っていた。

「戦前は遠く南方や台湾からも電報で注文がきた。そりゃ、忙しかったですねえ」。今年82歳になる實さんは古い台帳を取り出して、懐かしそうに振り返る。サイパン、ヤップ、高雄……。日本の港町に混じって海外の地名もある。粕谷さんの作業所の壁には今も各地から送られてきた船鋸の木型が掛けられている。

1970年代以降、鉄鋼製の大型漁船が主流となり、日本ではすでに木造船の製造が絶えて久しい。従って現在では船鋸の生産も行われていないが、日本で唯一、今でも船鋸をつくることができるのは、鴨川の粕谷親子だけだ。

伝統的な船鋸の製造技術は現在、盆栽用、竹引用、生花用、木彫用など様々な鋸に引き継がれている。これらの鋸は「房州鋸ぼうしゅうのこ」として、千葉県の伝統的工芸品の指定を受け、全国のデパートで開催される物産展でも人気が高い。「船鋸と全く同じ技術でつくっていますから、十年は切れ味が落ちません」(雄治さん)。全国の職人や愛好家からオーダーメイドの注文が引きも切らない。

房州鋸の材料は日本刀にも使用される玉鋼(安来鋼やすきはがね)。中でも不純物の極めて少ない「白紙しろがみ」と呼ばれる炭素鋼が用いられる。「木造船には樫やケヤキなど硬くて腐食しにくい木材が使われたので、硬い鋸でなければ切れなかったのです」(雄治さん)。

まず板状の鋼を鋸の形に切り、それを松炭で燃やした小さな炉の中で熱し、叩く。硬さと切れ、そして粘りを出すためにもっとも大切なのが「焼入れ」の工程だ。ある程度形の整った鋸を700〜800度の火の中に入れ、「全体が小豆色に赤く染まったら」取り出すのだが、その色加減を判断するのがもっとも難しく、長年の勘と経験が要求される。この時、少しでも赤くなりすぎると、硬くなり過ぎて「歯割れ」を起こしてしまう。微妙な鋼の色加減を見るために、焼入れ作業は通常、夜間に行う。

「もっとも硬い船鋸の技術があれば、どんな鋸にも応用できる」という雄治さん。伝統に裏打ちされた高度な技の結晶が新たな製品を生み出していく。
材料の安来鋼。「焼入れ」の際の温度調整が極めて難しい



熱した鋼を叩く粕谷雄治さん



船鋸の木型。船大工は自分のオリジナルの鋸を持っていた



「第五福竜丸」。現在に残る貴重な大型木造船でもある

■1954年に米国の水爆実験で被爆したマグロ漁船「第五福竜丸」。現在は東京・夢の島にある「都立第五福竜丸展示館」で保存・公開されているが、国内に唯一残る大型木造船として産業文化遺産的な価値も高い。第五福竜丸にも粕谷親子の手がけた房州船鋸が使われたという。当時は第五福竜丸のような木造船が日本の遠洋漁業の主役だった。「伝統ある船鋸の技術も残念ながら私の代で最後になりそうです」と話す雄治さん。木造船や船鋸といった日本古来の産業技術が失われていくのは時代の流れとはいえ忍びない。

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