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Value One グループ広報誌
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Value One Summer 2017 No.57より
熊平製作所のショールームに展示されているマンモス金庫扉
人々の財産を守り続ける老舗金庫メーカー
重さ約32トン、直径約2メートルの巨大な金庫扉。通称「マンモス金庫扉」と呼ばれ、日本銀行や大手都市銀行の本店などの金庫室に設置されている、まさに銀行の顔≠セ。世界最大級のマンモス金庫扉を製造するのは広島に製造拠点を持つ熊平製作所。同社は金融機関への金庫設備・貸金庫の納入シェアで7割を超えるトップメーカーである。
現在のようなスチール製の金庫は19世紀半ばに英国で開発された。日本では江戸時代末期に米国や英国と結んだ修好通商条約によって横浜に外国人居留地ができたことから、海外から金庫が流入した。当時、海外製の金庫は「鉄張箱」や「ドル箱」と呼ばれた。
日本初の金庫は、1869年(明治2年)に竹内弥兵衛が製造したといわれる。竹内金庫はその後、日本を代表する金庫メーカーとして名を馳せたものの、日中戦争時の物資不足で解散を余儀なくされた。一方、クマヒラの創業者である熊平源蔵氏は1898年に広島で熊平商店を開業。当初は竹内金庫の代理店として、金庫の販売や修理で事業をスタートし、広島だけでなく、京城(現在のソウル)や新京(現在の長春)に店舗や工場を開設するなど業容を拡大。源蔵氏は自らの金庫製造を熱望していたものの、竹内金庫との契約で国内での製造が認められなかった。このため、契約の制約が及ばない新京工場で念願の金庫製造に着手することになった。1940年のことだ。戦後は原爆で焼け野原となった広島で本格的に金庫製造を再開。日本銀行をはじめ数多くの金融機関に金庫・金庫扉を納入してきた。
銀行のような金融機関では専用の金庫室が設備され、その扉に強固な金庫扉が据え付けられる。一般の会社などでは設置型の耐火金庫、防盗金庫が用いられる。そのいずれにおいても、金庫は絶対的な耐火性、防盗性を備えていなければならない。このため金庫扉には厚い鋼板やコンクリートなどの様々な材料が複合的に使用されるが、クマヒラは1963年に画期的な特殊防御材「クマヒラアロイ」の開発に成功。金庫・金庫扉の防御力を飛躍的に向上させた。クマヒラアロイはガスバーナーによる溶断実験や電動ドリルなどによる破壊実験で、人間がやっと入れる穴をあけるのに176時間以上かかると推測される。事実上、破壊不可能な特殊合金である。阪神淡路大震災や東日本大震災でも同社製の金庫室は金融機関の重要な資産を守り抜いた。
「あらゆる脅威からお客様の大切なものを守るためには常に信頼性の高い製品でなければなりません。その信念は源蔵の時代も今も不変です」と話すのは熊平製作所の石田 啓・管理部長。
近年は金庫・金庫扉で培った技術やノウハウをベースに、入退室管理システムやセキュリティゲート、監視カメラシステムなど最先端の様々なセキュリティ製品を手がけ、「トータルセキュリティ」を標榜するクマヒラ。百十余年の歴史を持つ老舗金庫メーカーは人々の財産や情報を守るという揺るぎない使命をかたくなにまで追求し続けている。
クマヒラはセキュリティゲートでも国内トップシェア
1949年に日本銀行・新潟支店に納入した金庫扉
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