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Value One グループ広報誌
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Value One Autumn 2016 No. 54より
 

中義鉄工所が製造する伝統の錨

時代の変化に対応してきた鉄の町

瀬戸内海のほぼ中央に位置する福山市のともの浦。瀬戸内海に浮かぶ美しい島々を見渡せるこの地は、古くは「万葉集」の歌にも詠まれた風光明媚な景勝地である。潮の干満を利用して航行する船の「潮待ちの港」で知られ、瀬戸内海の航路の要衝として栄えてきた。紀州藩の船と衝突して鞆の浦沖に沈没した坂本龍馬の「いろは丸事件」の舞台になったことでも有名だ。

船の往来が多く、近くに造船所が点在したこともあり、鞆では昔から錨や船釘などの船鍛冶が盛んだった。江戸時代には隣の尾道とともに国内最大の錨・船釘の生産地として名を馳せた。

そのルーツをひも解くと、奈良時代の刀鍛冶にさかのぼる。江戸時代になると、安芸備後藩主の福島正則が城下に鍛治集団を集めて鍛治町を形成。平穏な時代が続いたことで、やがて刀から錨や船釘、農具などに生産品目が移っていった。また、日本の交易網を担った北前船 きたまえぶねが大阪から瀬戸内海、日本海を経由して北海道まで航行し、鞆にも寄港したことから、鞆でつくられた錨、船釘の販路は全国に広がっていった。

明治時代に入ると、船具や農具に加え、鉄道のレールなどの軌条用品といった様々な鉄製品にも業容が拡大。さらに大正時代には、廃船の鉄くずや製鉄所のミスロール品などを再圧延する伸鉄業が急速に成長した。第二次世界大戦後はビルなどの建設用資材としての平鋼や丸鋼、異形棒鋼の需要が飛躍的に伸びたことから、鞆は日本一の伸鉄の生産地となった。

やがて電炉メーカーの躍進により伸鉄業は衰退していくものの、鞆は伝統的な錨やシャックルなどの船具のほか、建築金物や機械部品など多種多様な鉄鋼製品を扱う「鉄の町」としての地歩を固めていった。

観光地としての景観を維持しつつ、鉄鋼業との併存を求め、福山市は全国でもいち早く海岸を埋め立てた鞆鉄鋼団地を1969年に造成。現在も約70社の鉄鋼関連企業が操業している。

錨の製造を手がける中義なかぎ鉄工所。今や鞆でわずかに3社しか残っていない錨メーカーで、戦前に創業し、漁船や養殖の筏などに使われる小型の錨を得意としてきた。鉄の板を熱しながら形を整え、ハンマーで叩いて接合させる伝統的な「鍛接」の技法を今も受け継ぐ。日本刀の製作にも用いられる卓越した技術だ。「昔は錨メーカーだけで5、6社あった。忙しい頃は全国から注文がきたよ」と中山照夫社長は語る。

刀鍛冶から始まった鞆の鉄鋼の歴史は農具や錨、船釘などの船鍛冶を経て、伸鉄や鉄鋼二次製品など時代の要請に応じて幾多の変遷をたどってきた。鞆鉄鋼協同組合連合会の副理事長も務めた向陽金属工業の橋本貞夫会長は「鞆の鉄鋼業は時代の流れとともに栄枯盛衰を繰り返してきたが、その伝統は実業に強いことにある」と話す。世の中の変化に応じて、自らもしなやかに変革してきた鞆のモノづくりにかける矜持がここにある。

美しい瀬戸内海に面した鞆鉄鋼団地




滑車のフック。滑車も鞆の主要な生産品目だ (中義鉄工所)





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